7ヶ月のひ孫と前回iChatでビデオチャットやったんです。そしたら祖母が液晶に映った僕の子の頬を震える手で撫でるんですよ。そのとき僕はテクノロジーに心から感謝した。すべての開発者にお礼を言いたかった。
中学の時に作文が上手な女の子がいて、彼女の付けるタイトルは、意外性のある想像力を掻き立てられるものだった。
タイトルも素晴らしいが、本文はその何倍も読む価値のあるものだった。
俺たちが「修学旅行の思い出」「金閣寺を見て」なんて駄文を書いている中、「もみじ」というタイトルなんだよ。
読んでみると、いきなり帰りのバスから始まるの。で、リュックにもみじの葉が紛れ込んでいるのを見つけて、「どこのもみじだろう?」と思い返すのが本文。
「○○でリュックを開けたけどもみじはあったかな?帰ってから写真を見てみよう」「○○のもみじはキレイだった。あそこのだったらうれしい」とか。
結局どこのかは分からないんだけど、一緒に行ったから「あそこにもあったよね」と、話したくなるんだよ。

一度コツを聞いたら、マンガを描くのが趣味で起承転結がどうのこうの言っていた。それは俺には無理だなと思った。
もう一つ、タイトルは最後に付けると言っていた。これなら俺にもできそうだったので、真似している。

【英語これだけは覚えとけ】

I see:わかる
Definitly:せやな
That’s it:それな
Absolutely:ほんまそれ

811 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 04:57:24.07 ID:np0leQzR
知り合いの女の子で、可愛くて愛嬌あって勉強できて彼氏とラブラブで社交的で明るくて
友達いっぱい居て誰にでも平等に接するという仏のような女の子いるけど、
どんなこと思いながら生きてんだろ。純粋に気になる。

812 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 05:27:56.56 ID:Dx7AhbhK
»811
じゃあ
不細工で無愛想で勉強できなくて童貞で閉鎖性格的で友人少ないまたは0の
他人に対して文句の多い男の子の内面が想像できるのかよ?

わりとできた…

813 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 07:47:36.61 ID:/JKSEHba
»812
俺だ
わかんない事あったら何でも聞いてくれ

この曲に登場するのは、「僕」と「君」の二人だけ、ではありません。
それを物語っているのが、ここの歌詞。

 「なぜ週末の結婚講座に 仕事を入れるの
  ドレスもリングも婚約者も 君を待ってるのに」

ここの解釈の仕方で、内容が180度変わることになります。

部屋が綺麗な人は、ここに閉まったから、あの道具はここにある、という探しかたをするんだけど、汚い人は、俺ならこの辺にあの道具を置きたがる、という過去の自分との心理戦をやる
普通、他の国の剣は鋳造して成型→鍛造で完成だけど、
日本刀の手間のかかり方は尋常じゃない。

まず地金。
炭素量の少ない「柔らかい鋼」を背に「硬い鋼」を刃として組み合わせる。
だから切れ味は鋭いのに、折れにくい。

んで、鍛造。
槌で打って鋼を圧着し、形を整え、鍛造効果で硬度は増す。
でも背側の鋼は柔らかいから、砕けにくく、しなやか。
しかも脱酸効果もあって鋼の純度は上がる。

そして熱処理。
水焼入れするんだけど、
焼き入れ速度(鋼を冷ます速度)が速ければ速いほど、鋼は硬く・もろくなる。
だから刀身に泥を塗り、刃だけを露出させて焼き入れ。(刀の刃紋はこれで出来る)
当然刃先は硬くなるが、刀身は冷却速度が遅いのでしなやかさを保つ。

工学とか知らない人にとっちゃワケワカメかも知れんが、
この技術は成立年代的に考えてオーバーテクノロジーもいいとこ。
こんな武器が戦でのサブウェポンだったんだから、日本恐ろしい・・・。


34:ローカルルール・名前欄変更議論中@自治スレ:2012/01/19(木) 12:57:28.54 ID:7VN59Bsl0
»33で書かれてるのは新刀と呼ばれる江戸時代になってからの製法で
オーバーテクノロジーと言われてる技術はそれ以前の古刀と言われるもので
製法が刀匠や土地によってバラバラで再現が不可能。最近の研究で
古刀にはカーボンナノチューブやチタンが含まれている事がわかったが製法は不明。
「俺は、何もプレッシャーなどかけていない」 「ムリな要求などしていない」 「勝手に、潰れていっただけだ」 「あの程度で潰れるのなら、どこに行っても同じだ」
 などという発言が聞かれることが多いが、その発言自体が、リーダーシップの失敗を物語っている。
しかし、クリストファー・ホダップによると、「高齢団員による絶望的なグループ」、「請求書の支払いやまずい食事、誰がユニフォームにアイロンをかけるか、といったことに関する長時間の会議」などを目の当たりにして、新人の多くは2度と姿を見せなかった。